はじめに|この章は「ストーリーの一歩目」
日本神話を大きな流れで見ると、
- 神が生まれた物語(天地開闢〜国生み)
- 世界が一度暗くなった「岩戸隠れ」
- 出雲での「国譲り」
- 九州での「天孫降臨」
- 大和での「建国」
といったシーンが、一本のストーリーとしてつながっています。
この第1章では、その最初の一歩となります。
「世界と神々がどうやって生まれたのか」
1. まだ世界が“もや”だったころ
日本神話は、驚くほど静かな情景から始まります。
まだ空も大地もはっきり分かれていない、“もや”のような世界。
固い地面もなく、海の上に油が浮いてゆらゆらしているような、落ち着かない状態だったと言われます。
固い地面もなく、海の上に油が浮いてゆらゆらしているような、落ち着かない状態だったと言われます。
その「かたちのない世界」の中で、少しずつ軽いものが上へ、重いものが下へと分かれていき、
- 上:高天原(たかまのはら、たかまがはら)…神々が住む“天の世界”
- 下:葦原中国(あしはらのなかつくに)…のちに人が暮らす“地上の世界”
という二層が整っていきます。
この「天と地が分かれていくプロセス」そのものが、
日本神話では 天地開闢(てんちかいびゃく) と呼ばれるスタート地点です。
日本神話では 天地開闢(てんちかいびゃく) と呼ばれるスタート地点です。
豆知識
天がつく神様は高天原出身です
2. 姿を見せない“はじまりの神々”
世界の骨格ができてくると、最初の神々が「ふっと」現れます。
古事記では、まず
- 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
- 高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
- 神産巣日神(かみむすひのかみ)
といった神々が登場しますが、姿かたちは描かれません。
性別もなく、子どもをもうけることもなく、すぐに“姿を隠す”存在です。
性別もなく、子どもをもうけることもなく、すぐに“姿を隠す”存在です。
続けて現れる神々も、しばらくは「ひとり神」として現れては消えていきます。
彼らは、物語の主役というよりも、世界の根っこにある“力”や“原理”そのもののようなイメージで捉えるとわかりやすいです。
彼らは、物語の主役というよりも、世界の根っこにある“力”や“原理”そのもののようなイメージで捉えるとわかりやすいです。
豆知識|なぜ「〜柱」と数えるの?
神さまの人数は「一人・二人」ではなく、
「一柱(ひとはしら)・二柱(ふたはしら)」 と数えます。
“柱”という字が使われるのは、神社の御神体の柱
自然や社会を支える**「柱」のような存在といったイメージが重なっているからだと言われます。「日本の神さまは、この世界を支える柱たち」というニュアンスですね。
3. イザナギとイザナミに託された「国づくり」
先ほどの“姿を見せない神々”が舞台を整えたあと、
ようやく物語らしい主役ペアが登場します。
ようやく物語らしい主役ペアが登場します。
- イザナギ(伊邪那岐命)…男神
- イザナミ(伊邪那美命)…女神
天上の神々は、この二柱にこう命じます。
「まだふわふわ漂っている国を、ちゃんとした形に整えなさい」
そして、天沼矛(あめのぬぼこ) という特別な矛を授けます。
天の浮橋に立って「かきまぜる」
イザナギとイザナミは、
空中にかかる「天の浮橋(あめのうきはし)」に立ち、
その矛の先を下の海へと差し入れます。
空中にかかる「天の浮橋(あめのうきはし)」に立ち、
その矛の先を下の海へと差し入れます。
くるくる、ぐるぐると海をかき混ぜ、
矛を引き上げると──
矛を引き上げると──
矛先から落ちた滴が固まり、最初の島 が生まれます。
それが 淤能碁呂島(おのごろじま) です。
それが 淤能碁呂島(おのごろじま) です。
「棒でかき混ぜた海から島が生まれる」という大胆な発想は、まだ形のない世界を少しずつ固めていくイメージを、とてもわかりやすく表現しています。
現在は、淡路島周辺の沼島や絵島、自凝島神社などが『おのごろ島』の候補地として伝わっています。
4. おのごろ島で始まる「国生み」
生まれたばかりのおのごろ島に降り立ったイザナギとイザナミは、
そこで
そこで
- 天之御柱(あめのみはしら) …世界の中心のような大きな柱
- 八尋殿(やひろどの) …立派な殿(館)
を見つけ(あるいは建て)ます。
ここから、日本列島づくり=国生み が本格的に始まります。
柱のまわりをぐるっと回る「出会いの儀式」
二柱は相談して、こんな儀式を行います。
- 天之御柱のまわりを、
イザナギは左回り、イザナミは右回りに歩く - 柱の反対側で出会ったとき、お互いに声をかけ合う
- そのあと夫婦となり、国を生んでいく
最初のときは、
イザナミ(女性)が先に「なんて素敵な男神でしょう」と声をかけ、
続いてイザナギが「なんて素敵な女神でしょう」と返します。
イザナミ(女性)が先に「なんて素敵な男神でしょう」と声をかけ、
続いてイザナギが「なんて素敵な女神でしょう」と返します。
しかし、この順番は“良くなかった”とされ、
生まれた子どもはうまく育たず、
二柱は再び天上の神々に相談することになります。
生まれた子どもはうまく育たず、
二柱は再び天上の神々に相談することになります。
神々の回答はシンプル。
「男神が先に声をかけるように、順番を改めなさい」
二度目のチャレンジではイザナギが先に声をかけ、
その結果、国生みはうまくいきます。
その結果、国生みはうまくいきます。
- 最初に淡路島
- 次に四国
- そして隠岐、九州、本州……
と、日本列島を構成する島々が次々に生まれていきます。
豆知識|「大八島国(おおやしまのくに)」って?
最初に生まれた主な八つの島をまとめて、
日本の国土は 大八島国(おおやしまのくに) とも呼ばれます。
日本の国土は 大八島国(おおやしまのくに) とも呼ばれます。
「八」は日本神話で“たくさん”を表す数字。
「たくさんの島々からなる国」という、
日本列島のイメージにぴったりな言い方です。
「たくさんの島々からなる国」という、
日本列島のイメージにぴったりな言い方です。
5. 神々が生まれ、そして訪れる「最初の別れ」
国土が形になってくると、
今度はそこに暮らすためのさまざまな神々が生まれます。
今度はそこに暮らすためのさまざまな神々が生まれます。
- 石や土を司る神
- 海や風の神
- 山や木、穀物の神 など
自然そのものが「神さま」として人格を持っていくイメージで、
ここから日本の「森・山・海を敬う感覚」に直結していきます。
ここから日本の「森・山・海を敬う感覚」に直結していきます。
よく石にも神さまが宿ってると言われたりしますよね。物を大切にしなければならない文化も日本人に根付いてます。
しかし、転機は突然訪れます。
イザナミが 火の神(カグツチ) を産んだとき、
その炎の力によって大きな傷を負い、命を落としてしまうのです。
その炎の力によって大きな傷を負い、命を落としてしまうのです。
大切な妻を失ったイザナギは深く嘆き、
やがて、どうしても諦めきれずにこう決意します。
やがて、どうしても諦めきれずにこう決意します。
「イザナミに会いに行こう。たとえそこが“死者の国=黄泉(よみ)の国”であっても」
6. 黄泉の国と黄泉比良坂|生と死の“境目”の神話
イザナギは、亡き妻を追って 黄泉の国 へ向かいます。
そこでイザナミと再会し、こう頼みます。
「まだ国づくりは途中だ。どうか戻ってきてほしい」
イザナミは答えます。
「もう黄泉の食べ物を口にしてしまったから、簡単には戻れない。
でも、あなたがそこまで来てくれたのなら、黄泉の神々と相談してみる。
その間、絶対に私の姿を見ないで」
しかし、長く待たされるうちに、イザナギは不安と好奇心に負けてしまいます。
髪飾りを折って火を灯し、御殿の中を覗くと──
そこには、すでに朽ち果て、蛆がたかり、雷神が宿る、
黄泉の姿となったイザナミがいました。
そこには、すでに朽ち果て、蛆がたかり、雷神が宿る、
黄泉の姿となったイザナミがいました。
イザナギは恐ろしくなり、黄泉の国から逃げ出します。
怒ったイザナミは追っ手を差し向け、
最後には自らも追いかけてきます。
怒ったイザナミは追っ手を差し向け、
最後には自らも追いかけてきます。
黄泉比良坂(よもつひらさか)での“決裂”
ようやく地上との境目までたどり着いたイザナギは、
大きな岩で坂を塞ぎ、黄泉の国との通路を閉ざします。
大きな岩で坂を塞ぎ、黄泉の国との通路を閉ざします。
その岩を挟んで交わされる、最後のやりとりが象徴的です。
- イザナミ:
「あなたがそんなことをするなら、
これから毎日、あなたの国の人を千人、死なせてやります」 - イザナギ:
「それなら私は、毎日千五百人の子どもが生まれるようにしよう」
このやりとりを通して、
「人は必ず死ぬが、それ以上に命は生まれ続ける」
という、日本の独特な生と死のバランス感覚が示されます。要するに、寿命というものができたとされています。
黄泉比良坂とされる場所はいくつか伝わっていますが、
「この世とあの世の境目」として語られる坂や峠に立つと、
どこか“あちら側”を意識せざるを得ない不思議な感覚があります。
「この世とあの世の境目」として語られる坂や峠に立つと、
どこか“あちら側”を意識せざるを得ない不思議な感覚があります。
島根県松江市東出雲町には、黄泉比良坂の伝承地として整備された場所も残っています。
7. 海辺の禊(みそぎ)と、三貴子(さんきし)の誕生
黄泉の国から戻ったイザナギは、
自分についた「穢れ(けがれ)」を落とすために、海で身を清めます。
これが 禊(みそぎ) です。
自分についた「穢れ(けがれ)」を落とすために、海で身を清めます。
これが 禊(みそぎ) です。
川や海に入り、
水で身体を洗いながら心も整えていく行為は、
現代の滝行や水行にもつながる神道的なイメージです。
水で身体を洗いながら心も整えていく行為は、
現代の滝行や水行にもつながる神道的なイメージです。
この禊のクライマックスが、顔を洗う場面。
- 左目を洗ったときに生まれたのが
→ アマテラス(天照大神):太陽の神 - 右目から
→ ツクヨミ(月読命):月の神 - 鼻から
→ スサノオ(須佐之男命):海と嵐の神
この三柱は 「三貴子(さんきし)」 と呼ばれ、
ここから先の神話を動かすメインキャラクターになります。
ここから先の神話を動かすメインキャラクターになります。
- アマテラス → 「岩戸隠れ」「天孫降臨」「伊勢神宮」へ
- スサノオ → 「荒ぶる神」から「出雲の神」へ、国譲りの前段へ
- ツクヨミ → 夜と月を象徴する、影の存在として世界のバランスをとる
イザナギは、
「たくさんの神々を生んできたが、
この三柱こそ、特別に尊い子どもだ」
と喜び、それぞれに役割を任せます。
ここでようやく、
- 太陽
- 月
- 海と嵐
という、私たちの生活に直結する大きな自然の力が
「神さま」としてはっきり姿を現します。
「神さま」としてはっきり姿を現します。
禊の舞台とされる『筑紫日向橘小門阿波岐原』も、宮崎や福岡に候補地が伝わっています。
8. この章のまとめ|“世界観の土台”をおさえよう
第1章「日本神話のはじまり」では、
- 天と地が分かれる 天地開闢
- イザナギ・イザナミによる 国生み
- 自然の神々が次々に生まれる 神生み
- 火の神の誕生とイザナミの死、黄泉の国への旅
- 海辺での禊から生まれた 三貴子(アマテラス・ツクヨミ・スサノオ)
という、一気に世界観の土台が描かれました。
ここで押さえておきたいポイントはシンプルです。
- 世界そのものに神が宿っている
→ 島・山・川・火・風・穀物まで、すべてが神さま - 生と死は一方通行だけれど、命の流れは続いていく
→ 黄泉比良坂のエピソード - 清め(禊)を通して、あらたな光が生まれる
→ 太陽・月・海の三貴子
この世界観を一度頭に入れておくと、
- 山の上の神社
- 海辺の小さな祠(ほこら)
- 大社の巨大な社殿
を訪れたとき、
「ここは、あの物語の流れのどこに位置するんだろう?」
と、少し立体的に感じられるようになります。
「ここは、あの物語の流れのどこに位置するんだろう?」
と、少し立体的に感じられるようになります。





